20年代 新しい生活様式 脱人間本位 持続可能な地球環境

2020年代の始まりから9カ月

2020年代の始まりから9カ月

始りから9カ月

20年代が始まり、その初年である20年も既に4分の3が終了しようとしています。人間の経済活動の観点から言えば、初年の20年は見事なズッコケスタートとなり、残りの9年と3カ月がどうなるのか、また、その先に明るい未来はあるのか、先行きが不透明となって参りました。

地球環境的に見れば、人間の活動がストップすること、停滞することは良い結果をもたらす。そのことはコロナによる人民の「自由行動の制限」により証明されました。例えば、空気が澄んで100マイル離れた地点からエベレストが見れるようになったり、海洋の汚染が軽減されジュゴンが戻ってきた、というような現象に見受けられます。

コロナから学ぶこと

日本だけで見れば、19年から20年にかけてのインフルエンザによる死者数と今年1月からのコロナの死者数を合計しても、例年のインフルエンザの死者数を大幅に下回りますので現在のところ全く動揺する(ビビる、恐怖する)必要はありません。例年よりも人間の生存するための条件は良いということです。しかし、この間、様々な「自由の制限」が行われてきました。結果として人民ひとりひとりが使用するエネルギーの量が減り、結果として、地球環境の持続化に少しだけ希望が持てるようになった。(いや~、まだまだ)

つまりはそういうことなのかなと思います。地球に生存する人間の数は70億人、持続的に、これだけの欲望を満たすだけのエネルギー資源がない。平和的行動に基づき、地球環境を持続的なものにしようとすれば、自ずとヒトひとりが日々使用するエネルギー資源の量を考え、制限してゆく必用がある。そのためにコロナが利用された。

新しい生活様式(new normal)が必要なことは間違いない

今、ちまたで流行っているコロナによる新しい生活様式とは違いますのであしからず。つまり、地球環境を持続可能にするための新しい生活様式が必要になっている、ということです。地球環境というものはすべての生命体が生存するためのプラットフォームです。これを破壊するような行為は、そもそも、理に適っていないわけです。言い換えれば、自分の住居を破壊する行為に等しいわけですから。その住居に同居人が居たら同居人まで住まいを失うことになってしまう。

私は今、比較的自然に恵まれた環境に居ることが多い。海に行けば、大きなエイが悠遊と泳いでいることがあります。向かいの山にはオオスズメバチの巣があるようで、私の上や横を飛んでいます。近くを通るときは「ブーン」と音を立ててくれます。餌を抱えて巣に帰る様子も目にします。そんな彼らも越冬することはできません。女王蜂だけが生き残り、そして命を紡いでゆく。この時期はつくつくぼうしの亡骸も目にします。つくつくぼうしは他の蝉よりもひと回り小さい、そんな小さな体で一生懸命鳴いている。

ある程度、世の中の仕組みがわかり、自分自身がそれなりの年齢になってくると、自分の欲を満たすことにあまり意義を感じない、そんなものはちっぽけな事だと思うようになってくる。

ヒトひとりが生きていくのに、いったいどれほどの資源、エネルギーが必要なのか!?

私は不器用な人間ですので、合理的でないものにコミットすることは難しい。新しい生活様式(new normal)を創造することは理に適っている、平和的に事を進める上でも必要なわけです。そして、そのことが将来の「自由を担保」することにつながるように思います。ヒトひとりが生きるために、エネルギー資源がどれくらい必要なのか、そして、それが持続可能なものなのか、実践を通じて答えを出してゆく。

小さなことからコツコツと、また来月お目にかかります。

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